2006/12/31

「しあわせってなあに?」

あなたにとって「しあわせ」とはなんですか?
そして今、「しあわせ」ですか?
単純だけどすごく難しい質問ですね。

そもそも人はどんなときにしあわせを感じるのでしょう。
趣味に没頭している瞬間?
家族と過ごす平凡なひととき?
おいしいものを食べているとき?・・・
しあわせを感じる瞬間はひとそれぞれでしょうね。

生きていれば、うれしいことや悲しいことがあります。
ちょっとした悩みから自分ではどうしようもない深刻な悩みまで、
いろんな出来事に遭遇するはずです。
自分はなぜ、なんのために生きているの・・・
なんてちょっと考え込んだりすることもあるかもしれません。
他の動物たちよりも、ちょっとだけ良くまわる「脳ミソ」を持ってしまったばっかりに、
いろんなことを気にしながら、
そして悩みながら日々を過ごしていくわけです。

なんだかんだ言っても、
とりあえず今、なんとかやっている状態・・・
これはやっぱりしあわせでしょう!

だから
「今、しあわせだということに気付くこと・・・」
これが一番の「しあわせ」。
最近そう思うようになりました。
・・・というより気付いたと言った方がいいかな。

ちょっと夢がなさすぎでしょうか。
向上心ゼロ!なんて言わないでください。
もちろん向上心はあります。出世欲はないかもしれませんが(笑)




命あるもの、いつどうなるかなんて誰にもわかりません。
日々、自分が不幸だと思いながら生きるより、
しあわせだと思って前向きに生きるほうがよくないですか?!
そう思えばもうちょっとがんばれるかもしれません。

しあわせを語るとき、誰しもその前提条件があるはずです。
「その条件をクリアしていればしあわせ!」というものです。
たいていの人は現在や過去に置かれていた状態が基準になるでしょう。
(未来を基準にすることはできませんから。)
だから「どん底」を経験した人は、そのありがたみがよくわかるんだと思います。
平凡であることのありがたみが。

そうやって考えてみると、人間が感じる「しあわせ」のバランスはとても大切ですね。
今、なにか悩み事があっても、
謙虚な気持ちになって、小さな喜びを「しあわせ」
と感じることができるようになると、結構気が楽になるかもしれません。
私はそうやって自分の気持ちをコントロールすることがあります。
逆にいえばその程度の悩みなんでしょうね・・・
たいした悩みではないんです。
ああ気分がスッキリした!っと

・・・プラス思考って大事ですね!・・・???

「さよならチョッパー」


チョッパーは普段は床にペタンと伏せていますが、たいてい前足をクロスさせてその上に顔をのっけて上目づかいにこちらを見ています。その憂いを含んだ表情は何ともいえません。なみだ目がちの二つのつぶらな瞳と黒い鼻先が三角形に並んでいます。

そんなチョッパー、ライオンのような『たてがみ』が特徴ですが、寝そべっていると一見モップかと思ってしまいます・・・。

集団生活が大好きな犬は、誰かと一緒にいないとさみしくて耐えられないようです。チョッパーのご主人はうちのカミサンです。外出すると帰ってくるまで玄関のほうを向いて待っています。そして物音をいち早く察知してのお出迎え。もううれしくてたまりません!



4本の足を身体の下に隠してしまうとこんな感じ。あれっ、これって猫のポーズじゃないの?猫のロビンの影響?

チョッパーの動きには「無駄」が多く落ち着きがありません。愛玩犬の特徴なのでしょうか、走るときはいちいちその場で2・3回飛び跳ねるようにしてから走り始めます。子供の頃、よくテレビで見た記憶がありますが、ディズニーアニメで犬が走り出すときにその場で足がタイヤのようにグルグルまわってから走り出す、まさにあのイメージ!ここからきているのかなーと思うくらい雰囲気が出てるんですよね。





ある日の夜、いつものように寝室で寝ていたときのこと、明け方、急にチョッパーが暴れだしました。横向きに倒れたままで四本の足をばたつかせ、口からは泡を吹いています・・・。何が起こったのかわかりませんでした。そのうちに納まりましたが、まだひくひくと痙攣しています。目はしっかりと開いています。

すぐ病院へ連れて行って先生に診てもらいましたが、どうやら『てんかん』ではないかという診断でした。てんかんの犬は結構いるらしく、ある人の飼っているドーベルマンもそうだとのことでした。ポメのてんかんでこんなに大騒ぎするのにドーベルマンだったらいったいどうなるんだ・・・と心配しましたが、その犬は薬を飲んでいるので発作は起きないとのこと。うーん、あんまり薬も飲ませたくないし・・・しばらく様子を見ようということになりました。

てんかんが起きると、猫のロビンは心配そうにチョッパーのそばで見守っています。顔をのぞき込んだり毛をぺろぺろと舐めたり、彼女なり方法での精一杯看病しているようです。普段クールな彼女ですが動物的な本能というか、母性というか、一緒に生活している家族愛?なのかわかりませんが、そんなものがきちんと備わっているんだなぁと関心させられます。

その後何度か発作が起きたこともあり、ちょっと薬を飲ませてみようということになりました。継続して飲ませなければならないとのことで、長い目で見ると結構出費もバカになりません。てんかんって生まれつきだからペットショップでわかるんじゃないの・・・。

そんなはなしも出ましたが、なんといってもカミサンと運命(前世では何か関係があるらしいのだ!?)の出会いをしたチョッパー。俺たちが面倒みてやるぜ!!


てんかんの薬を飲ませると発作は起きなくなりました。大好物のスライスチーズに包んであげると、うれしくてもう大変・・・。これを餌に『お座り』と『待て』をモノにしました。

はじめは1日1回だったものを次第に間隔を空けるようにして、最近では1週間以上あけても大丈夫です。もともと発作のとき以外はなんともなく、発作が収まるとまた元に戻る感じでしたが、それでもつらそうな顔は見たくないもんね・・・。




2006年11月のある夜、仕事から帰ったときのこと、チョッパーのいつものお出迎えがありません。どうしたのかな?と思ったら、元気なく床に寝転んでいます。近付くとゆっくりと顔を持ち上げました。のぞき込んで見ると、口のまわりの毛が固まったよだれで少し汚れています。これは日中にてんかんの発作を起こしたな・・・と思いました。最近は調子がよく、薬の間隔も結構空けていたらしいのですが、久しぶりの発作でした。

声をかけるといつものように後ろ足で立ち上がり、前足で私のひざの辺りをかりかりとこすります。抱き上げるといつものように私の上着に顔をうずめ、それから私の顔を見上げ、また顔をうずめます。少し元気はありませんがいつもの仕草です。発作の後で疲れたのかなと思いました。いつもはしばらくすると何事もなかったかのように回復するのですが、その日はなんとなく気になったので、しばらく抱いたまま頭をなでてやっていました。

その日の夜中、チョッパーはやたらと鳴きました。普段は1階でロビンと二人で寝ています。たまに吠えることもありましたが、この日はなかなか鳴きやみません。カミサンが2階につれてくると静かになりました。いつもなら1階に残したロビンのことが気になりまた鳴くので、結局1階に戻すことになるのですが、この日はなぜか2階で静かに寝ていました。

チョッパーは掛け布団の上で横になっていました。そのままどのくらい時間がたったのでしょうか、彼はまた発作を起こしました。いつもとは違い短い発作のようでした。でもすぐに納まったようなので特に気にはしませんでした。

明け方、カミサンの 「チョッパーが息してない!」という言葉に私は飛び起きました。まるで眠っているようにしか見えないチョッパー。彼の鼻に耳を近づけましたが、確かに息をしていませんでした。今にもむくっと起き上がりそうな感じではありましたが、確かに彼はもう生きてはいませんでした・・・。
2006年11月のある日、我家の家族チョッパー、3歳と1月足らずの短い短い一生を終えました・・・。




病院では心臓が弱いといわれていたので、長生きはしないんだろうなぁと覚悟はしていました。それにしてもまだ3才になったばかり。あまりにも早い、そしてあまりにも突然の死にやりきれない気持ちでいっぱいです。

ペットショップでのカミサンとの運命的な出会いから2年半、短い時間ではありましたが人生の大部分を我家で過ごしたチョッパー。彼なりに精一杯生き、精一杯愛情を受け、しあわせな一生だったに違いないと思うこと・・・。今の私にはそれしかできません。

ロビンはチョッパーの死をわかっているのかどうか・・・しばらくは普段と変わらずにすごしていましたが、2・3日してから、やたらと鳴いていました。




今の我家は家族を一人失い、前よりもなんとなく静かになりました。いつものように私を出迎え、上着の中にもぐりこみ、丸まりながら私の顔を見上げる、あのうるんだ黒い瞳はもう2度と見ることはできません・・・。

本当に大切なものって、失って初めて気がつくものなんですね。普段はそれが当たり前だと思っていても、家族といっしょに何げない生活そのものを送れることが、実は一番しあわせなんだなあと感じるようになりました。生きているものはやがて死んでいきます。それがいつなのかは誰にもわかりません。愛するものには愛情をそそぎ、日々の生活を送れることをありがたく思う気持ち・・・最近の日本人に少し欠けているのではないか、と思う気持ちに気付かせてくれた、そんな彼の死でした。

「きっと生まれ変わって、また我家に
やって来ると信じてるぜ!」 (涙)


「犬の十戒」

先日、新聞に『犬の十戒』という作者不明の文章が紹介されていました。
動物を飼っている人、これから飼いたいと思っている人にぜひ読んでもらいたい文章です。

************************************
1 わたしの一生は10年から15年くらいしかありません。ほんの少しでもあなたと離れていることは、とてもつらいのです。

2 あなたがわたしに望むことを理解できるようになるまで、わたしに時間をください。

3 あなたから信頼されること、それがわたしにとって一番の幸せです。

4 長時間しかったり、罰として閉じこめたりしないでください。あなたには仕事や楽しみがあり、友達もいるでしょう。私にはあなただけなのです。

5 ときどきわたしに話し掛けてください。言葉はわからなくても、話し掛けてくれるあなたの声を理解しています。

6 あなたがわたしをどんなふうに扱っているか、気付いてください。わたしはそれを決して忘れません。

7 私をたたく前に思いだしてください。わたしはあなたの手の骨をかみ砕ける歯を持っていることを。それでもあなたをかむことはしないと決めているのだということを。

8 言うことを聞かない、頑固だ、怠け者だとわたしをしかる前に何かそうなる理由がないか、とあなた自身考えて見てください。食事をきちんともらっていなかったり、日差しの照りつける外に長い時間置いておかれたりしたのかもしれません。年をとって心臓が弱っているのかもしれません。

9 わたしが年をとっても面倒をみてください。あなたも同じように年をとるのです。

10 最後の旅立ちのときもそばにいてください。『見ているのがつらい』とか、『わたしのいないところで逝かせてあげて』なんて決して言わないでください。あなたがそばにいてくれるだけで、どんなことでも穏やかに受け入れられるのです。
忘れないでください、あなたを愛していることを・・・。
************************************

これを読んだ瞬間、なぜだかじ~んときてしまいました。言葉ではうまく表現できないのですが、動物たちの立場に立ってみると、人間の何げない言動が彼らにはどう映っているのだろう・・・と考えさせられてしまいました(わたしも反省すること多数・・・)。そして、人間の子育てにも通ずる部分があるなぁと感じました。(もちろん甘やかすのとは違う意味で愛情を掛けるということです。)

人間も動物もおんなじなんですよねぇ・・・。 だから家族になれるんだろうなぁ・・・。

音楽≒建築

中学生の頃、私のそれまでの音楽観を変えるような出来事がありました。
それはあるグループとの出会いでした。

いつものように何気なくTVを見ていた私の耳に、聞いたことのないような不思議な音とメロディーが、聞こえてきたのです。その瞬間、頭の中の脳ミソがブラウン管の中に溶け込んでいくような感覚に陥ったことを今でも覚えています。

日本人なのに外国でメジャーになり、歌は英語で、着ている衣装は人民服、といえばご存知の方もいらっしゃるでしょう。

YMO:Yellow Magic Orchestra

世界中で爆発的にヒットしたこのバンド。当時珍しかったシンセサイザーを音源に、シーケンサーと呼ばれるコンピュータープログラミングで演奏するという、画期的(?)な手法を駆使し、音楽というものの概念を変えたのは、細野晴臣、坂本龍一、高橋ユキヒロという三人の変なおじさんたちでした。


その不思議な魅力にはまってしまった私は曲をコピーし、友人と一緒に学校の音楽室のピアノを弾くようになりました。弾くといってもピアノが弾けるわけではありませんでしたから、片手でできる程度のものです。それを三人で弾くと、なんとなくハモッてそれっぽく聞こえるのがおもしろかったのです。

それをするためには、曲をよく聴いて、そこで使われている音の構成をひとつずつ探り出さなければいけません。いわゆる『耳コピー』というものですが、よく聞くとあそこでこんなフレーズが聞こえてくる・・・というようなことをよくやったものでした。

最終的に、スコア(楽譜)を買ってきて検証をしてみると、それまでなかなかわからなかった部分が出ていたので、『おお~っ!』ということになったのでした。
ジャンルによって多少の違いはありますが、クラシックもロックも基本的には似たような構成です。

安定したリズムを刻む打楽器やパーカッション、
バスドラムとリンクして低音で曲の安定感をかもし出すベース、
コードをつくり全体の雰囲気を左右するサイドギター、キーボード、ストリングスやコーラス、
曲の印象を決定づけるメロディーを奏でるボーカルやリードギター。
これらのパートがかみ合って初めて美しい曲、心に残る曲ができるのです。



それ以来、音楽を演奏するということの快感を知ってしまった私は、高校に入ってからはろくに勉強もせず、もっぱらFMラジオで好きな洋楽を『エアチェック』(ん~なつかしい響き!)する日々を過ごしていました。

新聞の週間予定で録音したい曲を見つけ、カセットテープに『ドルビー』をかけてとりました(これをするとノイズが減るんだよねー)。当時は80年代まっただ中、洋楽が好きでニューウェーブ、ロック、パンク、ヘビメタ、ポップスなどなんでも聞きました。歌詞がわからない分、『音』そのものが私の興味の対象でした。

学園祭には友人とバンドを組んで出たりもしました。はじめは下手くそなキーボードでしたが、バンド仲間のギターをさわっているうちにその魅力にはまってしまいギターをやるようになりました。(弾くというレベルではなかったですが・・・。)

大学時代はMMCという音楽系のサークルで活動していました。いくつかのバンドを組みましたが、一時期オリジナルの曲を作って演奏していた時期がありました。

三人のユニットでボーカル兼キーボード、ベース、そしてギター(私)という構成で、ドラムは機械を使っていました。気持ちよいけど力強い、必要最小限のシンプルな音源で音が絡み合うような曲を作りたくて熱中していました。作り始めると時間の感覚がなくなり、気がつくと徹夜でフラフラ状態になったものです。

ちょうどそのころ大学の本業では建築の設計に係わるようになっていた時期で、設計の課題も締め切りが近づくと徹夜になり、よく(ダブルで)フラフラ状態になったものでした。



そのような日々を過ごす中でつくづくこう思いました。
『建築の設計は作曲に似ている・・・』と。

もちろん、フラフラになることだけでそう感じたのではありません。曲を構成するパート、これは建築を構成するパーツによく似ていると感じたのです。

リズムを刻むドラムは建築のグリッドや構造体の連続性に、
安定感をかもし出すベースラインは構造的に大切な基礎や土台や床の構造などに、
雰囲気を左右するサイドギターやキーボードは壁や天井、外壁のテクスチャーに、
曲の印象を決定付けるボーカルは建物のプランニングや窓の取り方そのものという具合に・・・

なんとなく三次元的な広がりを感じるところが似ているのです。それぞれのリズムやメロディーをどのように組み合わせれば心地よいラインが生まれるか、それは機能的で気持ちよい空間を生み出すプロセスと非常に似た感覚なのです。

また、イントロから始まり、メロディーラインを印象付けながら、サビで盛り上げるような音の構成も、建築に例えることが出来ます。

敷地に足を踏み入れてからアプローチを通りぬけ、玄関に立ち、扉を開けた時の感覚、そして最も気持ちのよい空間に入ったときの印象など、時間と共に変化していく感動にとてもよく似ています。
音楽の持つ『三次元の空間の広がり』と『時間の変化』は、まさに建築を構成するエレメントといえるのです。好きな『建物』のなかで好きな『音楽』を聴く・・・、私にとって、これはまさにゼイタクな時間の過ごし方なのです。


※ちなみに今、ヘッドホンから聞こえている曲は当時エアチェックした『XTC』の『Generals And Majors』です(かっこいい・・・)。あ、『JAPAN』の『Quiet Life』にかわりました。静かな音の構成がいいですね~。JAPANはそのルックスからミーハーバンドっぽく言われていましたが決してそんなことはありません。(ミック・カーンのフレットレスベースはすごいんです。)