2004/07/31

2004.7.13水害「三条S邸」

その日は梅雨前線が新潟と福島の県境あたりに停滞し、天気予報では大雨洪水警報がでていることをさかんに伝えていました。千葉県柏市での打合せを予定していた私は、サンプルやカタログを持参するため、車での移動を考えていました。

午前9時まえに新潟を発ち、関越自動車道で東京方面に向かいました。途中一時的にものすごい大雨に合いましたが長続きすることもなく、順調に車を走らせました。
関越トンネルを抜けると強い日差しが照りつけ、大雨のことは私の頭の中から次第に薄れ、これから向かう打合せの内容と、視覚から次々と入り込むまわりの状況が思考の大部分を占めるようになりました。

柏市での打合せは「雪国とバリアフリー」の住宅で、メールを中心に打合せを重ね、3度目の訪問であるその日は見積書の提出という段階です。「雨がすごいみたいですが大丈夫でしたか?・・・」クライアントの言葉で新潟のことが少し頭をよぎったものの、そのときの私には新潟の状況など知るよしもありませんでした。



打合せを終え、夕焼けを背に帰路につきましたが、トンネルを越えても大した雨には遭遇せず、ラジオも付けずに道中を過ごした私は、午後9時すぎに事務所についた時、初めて豪雨の被害を聞きました。それは、昨年竣工したばかりの三条市S邸が水害の被害を受けたという知らせでした。

「三条と中之口のほうはすごい被害でヘリコプターがでて救出作業をしてるみたいですよ!」
「ええっ!」すぐにはことばが出てきませんでしたが、ただ事でないことだけはすぐにわかりました。クライアントであるSさんの携帯にすぐに連絡をしますが留守電になっています。とりあえずメッセージを残して電話を切りました。



翌14日、Sさんから連絡がありご家族は無事であるとのことで、とりあえずほっとしました。
しかし水がまだ引かない状況では何も手が付けられないため、水が引くのを待って状況を確認することにしました。

15日の午前中に再度Sさんからの連絡で水が引いたとの知らせを受け、さっそく私と会社のメンテ担当と二人で状況確認に三条へ向かいました。

氾濫した川の反対側では、まったく被害の跡はありません。ただ車は通行止めになっているので近くの駐車場を探し、そこから歩いて川を渡りました。通りはすでに水は引いていましたが壁に残った泥水の跡が人の背たけほどもあり、そのときの状況を物語っていました。
通りでは泥につかった家の中の家具や畳などを外へ運び出す人達の姿が目立ちました。車はすべて室内まで泥だらけで使い物にならなくなっています。

ようやくたどり着いたS邸の1階は、腰の辺りまで泥水につかった跡があり、壁の石膏ボードやタモ突板の建具、フローリングなどすべて水を吸っている状況でした。ついこの間竣工したばかりの建物がこんな被害にあってしまうなんて当時は想像もできないことで、あらためて自然の力というか怖さを実感しました。



とにかく一日も早くもとの生活に戻れるよう復旧作業の準備を開始することになりました。
とは言っても泥水につかった部分をどこまでやり替えるか・・・

まず壁内部の状況を把握する必要があるため、休日返上で仕上の解体を行いました。ボードは水を含み弱くなっています。外壁は通気層のシートが水圧でたるんでいたため、外壁も撤去してやりかえることになりました。水はあっという間に上がったとのことなので、室内より外のほうが水位が高くなり、内外の水圧の差でシートが内側に押され伸びたと思われます。

壁と床はとりあえず全てはぎ取って、骨組みを表しの状態にしてボードと断熱材を交換し、床下を含め泥水に浸かった部分は高圧洗浄・除菌・カビ防止などの対策をして、よく乾燥させたのちに復旧することにしました。
また、ベタ基礎の床下空間を室内と一体で利用する床下暖房方式をとっていましたが、匂いが残ることを防ぐため、床下を屋外として通気させる床暖房方式に変更することにしました。床下には吸湿と脱臭効果のある細かな石を敷いたうえで強制換気をし負圧とする予定です・・・。

本来ならやらなくても良い工事だけになんとも複雑な思いで進めています。

最後に休みの日にボランティアで床下の泥出し作業をしてくださった協力業者の方々にお礼をさせていただきます。Sさんもいろんなことでお疲れのようですので無理をしないようにしていただきたいです・・・。