2004/03/31

人材のデザイン

「デザインがいい・・・」という言葉をよく耳にします。

その対象はさまざまですが、車や、洋服、電化製品、そして建築など・・・
人がその造形を決定しているものの中で、その形や色彩が気に入ったものや、印象に残るようなものについて、そんな表現を使うことがあります。

一般的にはデザインというとそのような見た目の良さをピックアップして語られることが多いようです。建築に関することでも日常会話として、「デザイン的にもう少し・・・」とか「ここのデザインをこうしよう・・・」というような使われ方をされているようです。



しかし実際にものの形状を検討する場合に、単純に見た目だけをとって考えることは現実的ではありません。

冒頭の「車」を例にあげれば、フロントの形状を決める場合に単純に見た目のカッコよさだけで決めたりはしません。風の抵抗を計算したり、衝突時に人体に与える影響を考慮したりしてその形状や強度、素材の選定が行われています。昔はスチールの頑丈なバンパーと角ばったグリルが一般的だった自動車のフロントバンパーが、昔に比べて丸っこくなっているのは、万が一人にぶつかった場合の人体への影響を最小限に抑えるためだといいます。そのため今の車のバンパーは樹脂製でやわらかく出来ていますし、ボンネットも衝突時に頭部がそこに当たるケースが多いため、やわらかくボコボコへこむような素材や強度の選定が行われているとのことです。

「デザイン」という言葉を英和辞典で調べると「意匠」のほかに「設計・構想・計画」という言葉が出てきます。それは見た目だけではなく客観的な判断を伴い、さまざまな可能性を検討し方向性を決定するというプロセスが含まれます。
そこには強度や耐久性、安全性、使い勝手などの「機能」が不可欠であり、むしろ重要だといえます。そこら辺の検討が行われてはじめて「設計=デザイン」したことになるのです。つまり「機能」の伴わない「デザイン」は本当の意味での「デザイン」ではないということです。

考えてみると世の中には「機能」を伴った「デザイン」されたものがたくさんあります。というよりは、ものをつくって世に出す時には必ずその検討がされているといったほうがいいでしょう。仮にそれが不十分だとしたら、見た目だけで機能的に不完全なものになってしまうのです。
そう考えると、「デザイン」の能力の大切さが改めて浮かんできます。




優れたデザインができる人材を数多く育てることによって、今後の日常生活や経済活動までも変えてしまう可能性を秘めているように思います。
つまり「人材のデザイン」(目的を持った教育計画)が世の中を変えていくということです。

教育の分野では、一般的には受験に必要な国語・算数・理科・社会などの教科ばかりが取りざたされる傾向があります。図工や音楽が得意でも、まわりの大人たちがそれを他の教科と同等に認めてあげないと、せっかくの才能を見のがしてしまいます。
この才能は世の中にとって不可欠なものであり、そこから次世代のデザインが生まれてくるのです。

図工は単なるお絵かきではなく、造形的な思考の訓練であり、ゼロからモノを創り上げるプロセスを体験するために大切な教科なのです。「図工が得意」ということにもっと光をあて、社会的に認めることが必要だと感じます。


そうすることで、身のまわりのもの、生活空間、そして街中が豊かで美しく機能的なスペースに変化していくに違いありません。